書写山【圓教寺】に参拝してきました。No.3

■奥之院
【奥之院】には、「開山堂(かいざんどう)」、「護法堂(ごほうどう)」、「護法堂拝殿(ごほうどうはいでん)(弁慶の学問所)」、及び「不動堂(ふどうどう)」が建立されています。

■開山堂(かいざんどう)【国指定重要文化財】
「開山堂」は、圓教寺の開祖、性空上人をまつったお堂で、上人の御真骨を蔵した等身大の木像が堂内の厨子に安置されています。寛弘4年(1007年)上人の没年に高弟延照によって創建され、弘安9年(1286年)に消失しました。現在の建物は、江戸期寛文11年(1671年)に造り替えられたものです。軒下の4隅に左甚五郎の作とされる力士の彫刻がありますが、そのうち北西隅の力士は、あまりの重さに耐えかねて逃げ出したという伝説が残されています。

 


 

■護法堂(ごほうどう)【国指定重要文化財】
「護法堂」は、開山堂前に並ぶ2棟の小さな神社です。同一の春日造りで向かって右が乙天社、左が若天社です。乙天は不動尊、若天は毘沙門天の化身とされ、書写山の鎮守で性空上人を守護した護法童子とされています。

残念ながら、「護法堂」は現在工事中でした。歴史的な建築物も維持するためには、修理が必要です。それは住宅も同じで、長く住み続けるためにはメンテナンス・リフォームが大切であることを改めて感じました。

 


 

■護法堂拝殿(ごほうどうはいでん)【国指定重要文化財】
「護法堂拝殿」は、奥の院の広場をはさんで護法堂と向かい合って建っています。拝殿と本殿(護法堂)が離れて配置されているのは珍しく、また拝殿としても神社形式を取り入れた仏殿の様な建物となっているのが特徴です。この拝殿は弁慶の学問所とも呼ばれ、その昔弁慶が鬼若丸と呼ばれていた7歳から10年間修行したとされています。その当時の勉強机が現在も残っています。今の建物は、天正17年(1589年)に建立せれたものです。

 


 

■不動堂(ふどうどう)
「不動堂」は、乙天童子の本地堂です。延宝年中(1673~1681年)に堂が造られ、乙天護法童子の本地仏である不動明王がまつられています。元禄10年(1697年)に堂を修理し、荒廃していた大経所を合わせて不動堂としています。俗に赤堂と呼ばれていました。一方、若天童子の本地堂がないのは、一説では若天の怪異な姿を人々が恐れたので、性空上人が若天に暇を出したとも伝えられています。

 


 

この他にも幾つか歴史的に貴重な建築物がありますのでご紹介したいと思いますが、続きは後日にさせていただきます。
(参照:パンフレット・案内説明)
 

 

兵庫 リフォーム NEXST 片山でした。

 
 
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